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そうだ、命日ジョン・レノンを聞こう

2006/12/08 21:25

 

 12月8日、真珠湾攻撃? そうかもしれない。でも、26年前のこの日だけは、いまでも鮮明に覚えている。ジョン・レノンが凶弾に倒れた日ということで……。

 正確に言えば、1980年12月8日、米国東部時間の午後10時50分頃、ジョンの住まいであるNYセントラルパーク近くの、ダコタアパートの前で、〝熱狂的ファン〟と言われたマーク・チャップマンのリボルバーから発射された5発によって、その場で倒れたという。そして11時過ぎには息がなかった。享年40歳。天才にはあまりにも短い生涯であった。
 
 日本時間では12月9日午後1時過ぎ……。わたしは入社して6年目、巨人担当をしていた。そして青年監督の長嶋茂雄がその年の10月21日に、45歳で突然、巨人軍を解任された。日本中が、「何故だ!」という怒りをまだ感じていた頃だった。しかも、王貞治も40歳で現役を引退…日本の野球界でひとつの時代が幕を閉じようとしていた。巨人の新監督は藤田元司(故人)になり、超スーパー新人として、原辰徳(現巨人監督)が、ジャイアンツのユニフォームに袖を通した。

 そんな年の瀬に、飛び込んできた
悲惨な出来事だった。

 東京・大手町にあった巨人の球団事務所。誰かが「ジョン・レノンが死んだらしいよ」と叫んでいた。それが第1報……。、「えっ? どういうことなの? 何かジョーク? あるわけないよ…」

 何度もされたテレビの速報ニュース…。我が耳、我が目を疑い、それでも疑いなく、事実なんだということを思いつつも、「ウソだ! 絶対にウソだ!」と必死に否定している自分がいて、その事実を認識するのに、多くの時間を要したことを覚えている。

 それからしばらく呆然というか、仕事もたぶんにいい加減に〝やっつけて〟、その夜は一晩中、ジョン・レノンを聞いていた。CDでなく、LPのレコードに何度も、何度も針を落として……。

 髪の毛をジョン・レノン風にしたり、眼鏡も丸形のジョンを真似たこともあった。中学時代から聞き続け、もちろんビートルズだけでなく、ローリングストーンズもジョンメイオール(エリック・クラプトンミック・テイラーも属していた)も聞いたし、英国ロック、ブルースに傾倒していた思春期、青春期、なりたい人は〝ジョン・レノン〟(なれるわけないが…)だった。

 日本にお忍びで来た後、〝情報〟をもとに歩いた。長野・軽井沢の喫茶店、パン屋さん、そして止まったホテル、京都の小料理屋さん…訪ねたものだった。

 翌81年にはNYに行く機会があった。10月のWシリーズ取材だったが、一番最初に訪ねたのはダコタアパートだった。警備の人がいた。一緒に記念撮影した。ミーハーだったかもしれないが、この道、この道路、この路地…ジョンが歩いた、触れた場所であることに、妙に涙が止まらなかった。あれから26年がたった。ジョンは、しかし40歳のまま自分の心の中にいる。いつの間にか、彼を大きく上回る歳となっているのに、彼の足下にも及ばない、我が人生……。それでも、彼がいてくれたおかげで、いままで何とか生きていられる。

 ジョンを聴こう。レノンを聴こう…。

 しばらくは、ジョンに浸りたい……。

 

 

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